努力に見合う価値があるかどうか判断するときは、その努力がすでに行われたあとなのか、それともこれから行うのかによって、判断が変わってきます。
私たちは新たな研究でこの事実を発見し、学術誌『Journal of Experimental Psychology: General』に発表しました。
これから努力する場合に、やるべきことが多いと、成果はそれほど魅力的に思えなくなります。ところが、その努力をやり終えてからだと、たくさん努力したことで、成果がもっと価値あるものに感じられます。
さらに、私たち研究チームは、努力する前か、した後か、という一般的な原則の影に隠れた事実も発見しました。
それは、未来や過去の努力によって形成される「労働の成果に対する価値感」は、人によって異なるということです。
なぜ人は努力に価値を置くのか
理性と自然の法則に従うなら、どんなときでも、努力は避けたいものです。
「実行することによる利益」と「そのために必要な努力」とを天秤にかけながら、限られた身体的・精神的リソースを最適化し、効率良く使わなければなりません。
こうした考え方は、昔から心理学の分野では「law of less work(より少ない努力の法則)」と呼ばれています。
つまり、同じ結果が得られるなら、人はより簡単な選択肢を好むのです。そうでない選択肢は非合理的、はっきり言えば、ばかばかしく思えてしまいます。
それが本当だとすると、なぜ人は努力に高い価値を置く時があるのでしょうか。
何かのために懸命に努力したことがある人は誰もが、努力すれば、最終的に得られる報酬がもっと甘美になることを知っています。それは、愛でも、仕事でも、スポーツでも、あるいはIKEAの組み立て家具でも同じです。
私たちが新たに発見した事実は、日々の生活の中にある、一見矛盾した現象を説明しています。エクササイズを例に挙げましょう。
これからトレーニングすることを考えると、厳しい練習に取りかかるのは尻込みしてしまいます。けれども習慣になってしまえば、同じトレーニングが達成感をもたらします。
仕事の例で言うと、専門技術を持っている人は、新たに難しい技術を習得することを避けるかもしれません。
しかしそれを身につけてしまえば、手に入れるのが難しかっただけに、自分の能力が高くなったことをもっと高く評価するのです。
まだ解明されていないこと
「No pain, no gain(努力なくして得るものなし)」や「Easy come, easy go(簡単に手に入れたものは、簡単に失われる)」といった格言は、私たちの言語に存在しており、文化の根本をなしていると思われます。
とはいえ、なぜ一部の人が、「努力が求められる選択肢」をほかの人より重んじるのかは、まだよくわかっていません。
身体的な適性によるものかもしれないし、過去の経験や、意義をどう感じるかによるものかもしれません。
私たちは現在、努力がどのようにして異なる価値感を形成するかを研究しています(たとえば、金銭的価値や、物から得る喜びなどの快楽的価値、美的感覚や芸術的感覚のような審美的価値など)。
たとえば、異なる量の訓練を積んだあとで、技巧を凝らしたカリグラフィーを鑑賞すると、人はその美しさをどう評価するかといったことを調査しています。
この研究は、ルーブル美術館で何時間も並んだあとでモナリザを鑑賞すると、人はその経験をどう評価するかといった、興味深い文化的現象の解明に役立つかもしれません。
また、教育やヘルスケア、ビジネスなどの分野で、モチベーションを上げるためのより良い仕組みを設計するのに役立てることもできるでしょう。
Originally published by Fast Company [原文]
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