🧠 あらすじと概要:
「父と僕の終わらない歌」あらすじ
この映画は、イラストレータの間宮雄太(松坂桃李)が故郷・横須賀に帰り、認知症を患っている父・哲太(寺尾聰)との絆を描く物語です。彼は幼馴染の結婚披露パーティに参加するために帰郷し、父と母・律子(松坂慶子)と共に日常を過ごしますが、哲太の病状は進行していき、家族はその変化に戸惑います。物語は、家族愛や認知症というテーマを扱っていますが、無理やり感動を押し付ける展開が散見されます。
記事の要約
感想文では、監督の小泉徳宏に期待して観たものの、作品には大きな期待外れがあったと述べています。映画の進行やエピソードの取り扱いに違和感を覚え、特に哲太の認知症の進行や家族の背景が不自然に描かれたと批判しています。また、感動エピソードの多さに疲労を感じたこと、演出が全体的にグダグダであった点も指摘されており、よりシンプルで感情に訴える作品であるべきだったと結論づけています。
監督が「ちはやふる」シリーズの小泉徳宏なのでかなり期待して観に行ったが、正直期待外れの作品だった。
イラストレータの間宮雄太(松坂桃李)は生まれ故郷の横須賀に帰っていた。幼馴染の聡美(佐藤栞里)の結婚披露パーティに参加するためだ。父の哲太(寺尾聰)が駅まで迎えに来てくれたが、雄太は駅で1時間も待たされた。披露パーティに遅刻するのは確実だが、哲太は陽気に歌いながら運転をしている。ようやく会場にたどり着くと、やはりパーティはすでに始まっていた雄太が母の律子(松坂慶子)に促されて着席すると、哲太がサンバダンサーズとともに会場に入ってくる。哲太は地元では有名なミュージシャンで、会場は哲太の歌で大盛り上がりだった。パーティの後、雄太は駅まで送ってもらう。しかし哲太は自宅への帰り方がわからない。
認知症を発症していたのだ。
雄太はしばらく実家にとどまることにした。その事を同居人に連絡する。雄太は免許を返納した哲太の代わりに運転をすることになった。一見変わらない日常のように見えたが、哲太の病状は日に日に進行していく。アイロンを掛けていたことを忘れてボヤを出し、いきなり怒りっぽくなり家の中をめちゃめちゃにしたりした。
律子と雄太は途方に暮れるが、それでも二人は哲太のそばにいたいと思っていた。
イギリスでYouTubeにアップされた実話が原案になっているらしく、日本では書籍が出版されているようだ。
この映画がどこまで原案に忠実なのかはわからないが、ディティールの詰め方が甘く、無理やりお涙頂戴の展開に持っていこうとしている「ご都合主義」が透けて見えてしまっていた。
まず、哲太の認知症の進行スピードに違和感を感じた。それまでどんな生活を送っていたのかわからないが、雄太が帰ってきたとたん認知症が一気に進む。93分の上映時間ありきの進行スピードに感じた。プロのミュージシャンを目指していた哲太がオーディションに行かなかったのが、雄太が誕生したから、という理由もありきたりすぎて、かなり引いた。家族が危篤というのならいざしらず、たかだが東京と横須賀の距離なのだから、子供が生まれそうでも自分の夢をかなえるためにオーディションに行くのが普通だろう。結果、雄太は大人になっても「哲太は雄太が生まれるからオーディションに行かなかった」と言われている。昭和に作られたドラマを見ているかのようだった。この作品中では笑い話にしていたが、一歩間違えればかなりのイジメだし、現実の話であったら子供はかなり親に対して引け目を感じて育つだろう。哲太が人気者と言う横須賀のコミュニティの描き方も、規模間もわからずまったくリアリティがなかった。
雄太がゲイなど、最初から最後まで感動を押し付けエピソードのてんこ盛りで、観終わった後はかなり疲れてしまった。
「ちはやふる」シリーズで小泉徳宏は、畳の下から透視する目線で百人一首の競技者の表情を映すなど、斬新な演出を見せ天才だと思った。今回も、スマホの中からスマホを見る者の表情を映す、という演出はあったが、それ以前に全体の演出がグダグダだった。もっとエピソードを削って軸をしっかり打ち出したシンプルな作品にした方が、素直に感動できたのではないかと思う。
「ガチ☆ボーイ」も好きでこの監督のファンだったが、今回は残念な作品になってしまっていた。
65.父と僕の終わらない歌
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