2025年9月10日、歌手の橋幸夫(本名:橋幸男)さんが82歳で亡くなり、9日に東京・小石川の「浄土宗 無量山 傳通院」で通夜が行われました。二代目橋幸夫yH2のメンバーたちが訪れ、故人に別れを告げました。
橋幸夫さん お通夜に参列した二代目橋幸夫(左から)小牧勇太、進公平、徳岡純平 (C)ORICON NewS inc.
報道陣からの質問に応じた彼らは、それぞれ橋さんとの思い出を語りました。最年少の徳岡純平さんは、「尊敬する先輩であり、師匠でもあり、父であり、一言では言い表せない」と感謝の気持ちを表しました。進公平さんは、橋さんに自分の活躍を見せたかったと述べ、これから彼らが名曲を歌い継ぐことを誓いました。
橋幸夫さんは1943年5月3日、東京都に生まれ、中学2年から作曲家・遠藤実氏に師事し、1960年に「潮来笠」でデビュー。日本レコード大賞新人賞を受賞し、舟木一夫、西郷輝彦とともに「御三家」と称され、数多くのヒット曲を生み出しました。近年はアルツハイマー型認知症を公表しながらも、歌手活動を続けていました。
この訃報は日本の音楽界にとって大きな喪失を意味し、多くのファンに惜しまれています。橋さんの音楽と影響は、これからも多くの人々に語り継がれることでしょう。
🧠 編集部より:
橋幸夫(本名:橋幸男)さんは、日本の演歌界で非常に著名な歌手で、1943年に東京都で生まれました。彼の音楽キャリアは1960年に始まり、「潮来笠」でデビューし、瞬く間に人気を博しました。橋さんは舟木一夫さんや西郷輝彦さんと共に「御三家」と呼ばれ、数々のヒット曲を世に送り出しました。
彼の歌には、魅力的なメロディと深い歌詞があり、特に「いつでも夢を」や「霧氷」は有名です。これらの楽曲は今でも多くの人に親しまれており、演歌の代表作として評価されています。橋さんはまた、『NHK紅白歌合戦』にも通算19回出場しており、昭和から令和にかけて多くのファンに愛されてきました。
ちょっとした豆知識ですが、橋さんは日本レコード大賞の新人賞を受賞した際の若々しい姿や、その後の成長を見守られていたファンも多く、実際に演歌界のアイコンとしての地位を確立しました。2023年5月には歌手活動を一度引退しましたが、その後ファンの声に応えて復帰し、アルツハイマー型認知症を抱えながらも舞台でのパフォーマンスを続けました。
彼の通夜には、多くの後輩たちが参加しており、徳岡純平さんは尊敬の念を込めて思い出を語り、進公平さんは「橋さんに活躍している姿を見せたかった」と感慨深げにコメントするなど、橋幸夫さんの影響力の大きさを感じさせる場面が見られました。
-
キーワード: 橋幸夫
※以下、出典元 ▶ 元記事を読む
Views: 0