日曜日, 6月 1, 2025
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「岸辺露伴は動かない 懺悔室」感想メモ闇鍋はにわ

🧠 あらすじと概要:

映画「岸辺露伴は動かない 懺悔室」のあらすじ

物語は、漫画家・岸辺露伴が舞台であるヴェネツィアの懺悔室に訪れ、仮面の男と出会うところから始まります。この男は、自らの罪を告白し、誤って浮浪者を死なせたことで、奇妙な運命に取り憑かれていると語ります。その後、露伴周辺でも奇妙な出来事が次々と発生し、彼は自らの運命とも向き合うことになります。ヴェネツィアの美しい街並みや、仮面にまつわる人間心理が描かれ、彼らの内面を探求する深い物語が展開されます。

記事の要約

この記事では、映画の中の「仮面」というテーマに着目し、ヴェネツィアの文化や人々の心情がどのように描かれているかを考察しています。登場人物のマリアは父からの呪縛に悩み、自らの幸せを忌避する姿勢を持っているが、これは「仮面」としての生き方を示しています。また、岸辺露伴のスタンド能力「ヘブンズ・ドアー」を通じて、過去や本心がどのように「仮面」として表現されるかを描写しています。仮面は他者との関係を規定しつつも、自分自身で作り上げることも可能であるという、深いメッセージが込められていると述べています。最終的には、自分の「仮面」を意識的に作り上げることが、人間の生き方における重要な側面であると締めくくられています。

「岸辺露伴は動かない 懺悔室」感想メモ闇鍋はにわ

ちょっと今回の文章は自分として満足できておらず、しかしこれ以上手を加える余力も持てないのでレビューではなくメモとして。半端な形ですみません。

1.仮面の街ヴェネツィア、人々がつける心の仮面

「仮面」と聞いてあなたは何を思い浮かべるだろうか。仮面舞踏会、仮面夫婦など色々あるだろうが、素顔を隠す仮面は一般にあまりいい意味で使われない傾向にある。仮面の街ヴェネツィアが舞台の『岸辺露伴は動かない 懺悔室』はそんなイメージを少し変えてくれる作品だ。

漫画家・岸辺露伴がヴェネツィアの懺悔室で受けた告白。それは仮面の男が語る罪の告白であった。いわく、誤って浮浪者を死なせた自分には異常な幸運、そして幸せの絶頂の時絶望を味わう呪いがかかっているというのだ。現実とは思えぬその数奇な運命は、やがて露伴の身の回りにも起きるようになり……

2度目の映画化を果たした『岸辺露伴は動かない』。邦画初の全編ロケを敢行したヴェネツィアの街並みの美しさや教会の荘厳さが圧巻だが、同地の風俗をより活かした物語に再構成されているのも大きな魅力だ。ここでは本作の中でも目を引くアイテム、仮面に注目してその意味を考えてみたい。

原作には登場していないが、ヴェネツィアは仮面でも有名な街である。岸辺露伴の出身作品『ジョジョの奇妙な冒険』第2部ではリサリサが初登場時仮面を被っていたし、世界3大カーニバルで知られるヴェネツィア・カーニバルは仮面をつけた人たちでごった返すという。玉城ティナ演じる映画オリジナルの人物、マリアに至ってはカーニバルや式で使う仮面のオーダーメイドを仕事としているのだから驚きだ。ペストの流行で医者がつけたくちばしのようなマスクも仮装の中に取り込まれ、この街には仮面の歴史が息づいている。言い換えるなら、ヴェネツィアが舞台の本作の人間心理は仮面になぞらえることができる。

マリアは父親から「幸せになってはいけない。一番なんていらない」と言いつけられて育ってきた。奇妙な言いつけだが、自分が幸せになれば父は死ぬと小さな頃から教えられれば子どもの基本概念ともなろうものだ。一番の幸せを忌避する彼女の姿勢は親が彼女に被せた「仮面」である。また本作には他人との入れ替わりで顔を整形した人間が登場するが、自分以外になるため整形した顔は肉があっても「仮面」のようなものであろう。まして、他人になり代わるためには本来の自分の立場や思考も捨てなければならない。

「仮面」は私たちの外側を規定し、内面までも拘束する。本作の重要人物である呪われた男などは幸福が不幸に見える仮面を被せられていて、頭の中はそこから逃れることでいっぱいだ。だが、本作はそうした仮面をただ外すことを是としてはいない。マリアが職人であるように、「仮面」は自ら作るものでもあるからだ。

2.仮面という名の痕跡 人は一生をかけて仮面を作っていく

「仮面」とは着けるだけでなく自ら作るものでもある。これをもっとも視覚的に表しているのは岸辺露伴のスタンド能力「ヘブンズ・ドアー」だろう。彼は人を本に変える不思議な力を持っているが、ページとなって表出するのは当人の過去や本心だ。仮面のように浮かび上がっているのはその人が築き上げてきた自分自身であり、すなわち生き様である(実際、劇中でヘブンズ・ドアーを受けた人間の顔のページは言語や文体、レイアウトに至るまで1人1人異なっている)。また露伴はヴェネツィアには繁栄の光だけでなく疫病などの影も遺されていると指摘するが、こうした痕跡は人ではなく街がこれまで作ってきた仮面のようなものだと言えるだろう。

「男の顔は履歴書」という言い回しがある。美醜の話でも男性に限った話でもないのは当然として、過去は人の顔に刻まれるものだ。勇気、懊悩、優しさなど月日と共に重ねた感情や経験が人の外面を形作り、世界でたった一つの「仮面」を作り上げていく。劇中で露伴が言うようにそれは一生ものの仕事だ。彼は漫画家としての自己規定には潔癖症と言えるほどストイックだし、マリアにとっては自分が満足できる「仮面」を作ることは父の教えから離れた人生を送るのと表裏一体である。一方で露伴の担当編集を務める泉京香、彼をイタリアに招待したヴェネツィア芸術大学理事のロレンツォのように底抜けに明るく、自分の「仮面」が生まれつき完成して見える人もいるから世の中は面白いのだが。

仮面は私たちの内面までも拘束するが、同時に自ら仮面を作ることもできる。不幸や幸運に立ち向かう、尊敬できる生き方とは自分の「仮面」を自分で作っていく生き方なのだろう。それはきっと、原作を尊重しつつも囚われすぎないこのドラマ自身の生き様でもあるのだ。



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