「大学受験」は10代における最大のイベントです。残念な側面でもありますが、いい大学にいけば、なりたい職業になれる確率は上がり、将来の選択肢は増えるのが現在の日本です。それほどまでに大学受験の持つインパクトは大きくなっています。そんな難しい時代でも「自分らしい大学進学」をするために書籍:『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』が発売されました。本書は、きれいごとを抜きにして、「大学受験とはどういうものなのか」「人生とはどういうものなのか」を考えることができる受験の決定版です。本記事では発刊を記念して著者である、びーやま氏への特別インタビューをお届けします。

学歴社会は人から個性を奪っていないか
――よくも悪くも日本は学歴社会だと言われますが、実際はどうなんでしょうか。
びーやま氏(以下:びーやま):たしかに日本が学歴社会であることは間違いありません。
新卒で就職をするならば「学歴フィルター」は避けられませんし、テレビを見ても人気のクイズ番組は大学ごとでチームになります。新聞を読めば、経営者のプロフィール欄は必ず出身大学からはじまりますし、新内閣発表に至っては大学名だけでなく、全員卒業年と学部名までセットで紹介されます。
このような状況ですから「学歴社会ではない!」と言うのは無理があります。
――その学歴社会ですが、ある種「大学名」だけで人をラベリングする行為とでも言いましょうか、個性を見ずに人を判断する装置としても機能しているように感じるのですが、その点はいかがでしょうか。
びーやま:むしろ僕は逆だと思っています。学歴がその人の個性をわかりやすく浮かび上がらせているんじゃないかと。
――おもしろい答えですね。どういうことか詳しく聞かせてください。
びーやま:仮に学歴がない世界だとして、僕らはどのように人のことを判断するのでしょうか。もちろん一人ひとりと深くコミュニケーションを取って人となりを理解していくのがベストですが、すべての場面でそんなことが可能とは思えません。
たとえば、就職の場面では、数千、数万といった学生の応募があるわけで、限られた時間のなかで全員を細かく見ていくなんてことは不可能でしょう。
もちろん、学歴で見てしまうことによって、いい人材の取りこぼしなどはあるでしょうが、それでも現実的な方法として学歴は機能していると思います。
テレビでも同じです。クイズ番組でわざわざ学歴を出すのは、「頭がいい」というのをわかりやすく伝えるためですから、1つの判断材料として十分に機能しているように思います。