水曜日, 5月 21, 2025
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「原子レベルの脳型チップ」を開発:目のように見て脳のように考え記憶する


オーストラリアのロイヤルメルボルン工科大学(RMIT)で行われた研究によって、人間の「目」と「脳」と「記憶装置」を同時に肩代わりし、振られた手の動きを一瞬で検知して省エネで判断する――そんな“脳型チップ”が誕生しました。

この小さなデバイスはまるで自身で判断して記憶するように、外部コンピューターの支援を最小限に抑えながら周囲の動きを検知し、スパイク信号と簡易的なメモリ機能を併せ持つ点が特徴です。

AIは人間の脳をある種のシミュレーション空間で模倣しますが、このチップは物理世界で人間の脳を模倣します。

目と脳が一体化したような新しいアーキテクチャにより、従来は困難だった瞬時の映像処理が可能になり、自動運転車やロボットなど次世代技術への応用が期待されています。

現在研究者たちはこのチップを多数備えて処理能力の巨大化を進めているとのこと。

脳のような動きをするチップは、私たちの未来をどのように変えるのでしょうか?

研究内容の詳細は2025年4月23日に『Advanced Materials Technologies』にて発表されました。

目次

  • なぜ『脳型ビジョン』が必要か?
  • 視る・考える・覚えるを1チップで
  • 自動運転の『第六感』へ――応用と課題

なぜ『脳型ビジョン』が必要か?

なぜ『脳型ビジョン』が必要か? / Credit:clip studio . 川勝康弘

私たちの脳は視覚情報を効率的に処理し、必要なことだけを素早く判断します。

これに対して従来のデジタルカメラやコンピューターでは、映像をコマ送り(フレームごと)に取得し、大量のデータを逐次処理していました。

データ量が膨大になるほど処理に時間と電力を要し、リアルタイムに判断することが難しくなります。

この問題を解決するために登場したのがニューロモルフィック・ビジョンと呼ばれる技術です。

ニューロモルフィック(神経模倣)とは脳神経の働きを模倣するという意味で、人間の脳のようなアナログ信号処理を用いることで、従来のデジタル方式よりもはるかに省エネルギーで高度な視覚情報処理を実現しようとする試みです。

実際、研究リーダーのスミート・ワリア教授は「ニューロモルフィックな視覚システムは私たちの脳に近いアナログ処理を行うため、現在のデジタル技術よりも複雑な視覚タスクに必要なエネルギーを大幅に削減できます」と指摘しています。

脳を模倣したコンピューティングの核となるのがスパイキング・ニューラルネットワーク(SNN)と呼ばれる仕組みです。

これは、生物のニューロン(神経細胞)が電気パルス(スパイク)を発する挙動を再現したもので、信号が一定量蓄積されて閾値に達すると“発火”し、その後ニューロンがリセットされる漏れ積分発火(LIF)モデルが基本となっています。

SNNは不要な情報を抑えて必要な時だけスパイクを出力するため、省電力かつ生物に近い情報処理が可能です。

しかし、実際にこのようなニューロンの動きをデバイス上で再現し、カメラのような視覚センサーと統合することは大きな課題でした。

研究チームはこの課題に挑み、モリブデンジスルフィド(MoS₂)と呼ばれる原子レベルに薄い半導体材料を用いて、光で動作する人工ニューロンを作り出すことを目指しました。

MoS₂などの二次元材料は厚さ数原子のシート状物質で、電子的・光学的性質を電圧で細かく制御でき、省電力で柔軟なデバイス設計が可能になることから注目されています。

今回の研究では、この超薄型MoS₂に意図的に微小な欠陥(原子レベルの不完全構造)を導入し、光に対してニューロンのような応答を引き出せるかを探りました。

視る・考える・覚えるを1チップで

視る・考える・覚えるを1チップで
視る・考える・覚えるを1チップで / 図の(a)は、生きた神経細胞が刺激を受けたとき、電気が一気に流れて信号(スパイク)を出し、すぐ静かに戻る様子を描いています。図の(b)は、その動きを厚さ1原子層のMoS₂トランジスタで真似し、電気や光をためては一定量に達するとスパイクを出す「人工ニューロン」の仕組みを示しています。図の(c)では、写真を赤・緑・青の3色に分け、各画素の明るさをスパイクの出る速さに置き換えて“脳信号”に変換し、この人工ニューロンにつなぐ手順を示しています。/Credit:Thiha Aung et al . Advanced Materials Technologies (2025)

研究チームが開発したのは、モノレイヤー(一原子層)厚のMoS₂を使った小さな光センサー内蔵トランジスタです。

このデバイスに光が当たると、材料中の欠陥サイトが電子を捕獲・放出し、まるでニューロンが電気信号を溜め込み発射するような振る舞いを示します。

具体的には、光刺激によって電流が徐々に増大し(積分に相当)、閾値に達すると急激にスパイク信号を出力し、ゲート電圧を加えることで電流をリセットして次の刺激に備えるという、一連のLIFニューロン的な動作が確認されました。

筆頭著者のティハ・アウン博士課程研究者は「私たちは原子レベルで薄い二硫化モリブデンが、スパイキングニューラルネットワークの基本要素であるリーキー積分発火(LIF)ニューロンの挙動を正確に再現できることを実証しました」と説明しています。

つまり、原子レベルのチップにおいても脳の神経細胞のように電気を少しずつためては一定量でパッと放電する動きを、そっくりそのまま再現できることを確かめたのです。

このデバイスは光刺激による「膜電位」の蓄積とスパイク出力を一体化して行えるため、従来は別々の素子で担っていた「センシング(検出)」「情報処理」「メモリ保持」を融合できた点が画期的です。

さらに研究チームは、このMoS₂チップを実際のスパイキングニューラルネットワークに組み込み、CIFAR10(静的画像)とDVS128(動的ビジョン)のデータセットで最大約75~80%の分類精度を達成可能であることも示しました。

実験ではまず、目の前で手を振るというシンプルな動作を対象にデバイスの反応をテストしたところ、通常のカメラが行うようにフレームごとの撮影を行わずとも、手の動きによる視界の変化を即座に捉えることができました。

これはエッジ検出と呼ばれる手法で、シーン全体ではなく変化の部分だけを検知できるため、処理すべきデータ量と消費エネルギーを大幅に削減できます。

実際、手の振れによるわずかな明暗の変化を検知すると、その瞬間にスパイク信号を発して「手が動いた」というイベントを自動的に記録しました。

人間が目で動きを捉えて脳に伝え記憶するのと同様に、このチップ自体が見る・処理する・覚えるを完結させているのです。

ワリア教授は「この試作デバイスは、人間の目が光を捉える能力と脳が視覚情報を処理する能力を部分的に再現しており、大量のデータや大きなエネルギーを必要とせずに環境の変化を瞬時に察知できます」と強調しています。

さらにゲート電圧を用いたリセット機能により、一度記録した後はすぐに次の変化を捉えられる高速応答が可能です。

このように、本研究のMoS₂チップはセンサー・プロセッサ・メモリを統合した人工視覚ニューロンとして機能し、SNNの基礎技術としても応用できる可能性を示しました。

自動運転の『第六感』へ――応用と課題

自動運転の『第六感』へ――応用と課題
自動運転の『第六感』へ――応用と課題 / Credit:Canva

今回開発されたニューロモルフィック視覚デバイスは、将来的に自律走行車やロボットの「目」と「脳」を一つにまとめる技術として大きな可能性を秘めています。

研究チームによれば、この技術を応用することで、自動運転車やロボットが予測困難な環境下でも、危険の兆候をほぼ瞬時に察知し、従来より格段に速い反応が可能になるといいます。

ワリア教授は「こうした応用分野でニューロモルフィック・ビジョン技術が実現すれば、大量のデータを処理せずともシーンの変化をほぼ即座に検出し、飛躍的に迅速な対応ができるようになります」と述べています。

ワリア教授は続けて「それは人命を救うことにもつながり得るでしょう」と強調しています。

共同研究者のアクラム・アル=ホウラニ(Akram Al-Hourani)教授は「人間と密接に関わる製造現場や家庭内でロボットが働く際にも、この技術によって人間の動きを即座に認識・反応できれば、遅延のない自然なインタラクションが可能になるでしょう」と期待を語っています。

このように、本技術は安全性が要求される自律システムや人と協調するロボットにとってゲームチェンジャーとなり得るでしょう。

もっとも、現在のチップは概念実証段階の単一ピクセルデバイスであり、実用化に向けては課題も残ります。

ワリア教授も「我々のシステムは脳の神経処理の一部を模倣したに過ぎず、現時点ではまだ簡易化されたモデルです」と慎重に述べています。

しかし研究チームはすでに、この単一ピクセルのチップを格子状に多数並べたピクセルアレイへ拡張する研究に着手しており、オーストラリア研究評議会からの助成を受けて開発を進めています。

今後はデバイスの低消費電力化を一層追求しながら、より複雑な実世界の視覚タスクに対応できるよう最適化を図っていく計画です。

さらに研究チームは、今回用いたMoS₂以外にも材料の可能性を模索しており、将来は赤外線領域で動作するデバイスや有毒ガス・病原体のリアルタイム検知といった応用も検討しています。

ワリア教授は「私たちの技術は従来のコンピューティングを置き換えるのではなく、補完するものだと考えています。従来型のシステムにも得意な処理は多くありますが、私たちのニューロモルフィック技術はエネルギー効率やリアルタイム性が決定的に重要な視覚処理の場面で優位性を発揮できます」と述べています。

従来型のシステムが自動運転の5感的なものを担うとしたら、脳型チップはそれにプラスアルファとなる第6の処理システムとなれるわけです。

もしデータを学習することで進化するAIと人間の脳のように疑似的な神経回路を持つ脳型チップを組合わせることができれば、より高度な機械知性を想像できるかもしれません。

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元論文

Photoactive Monolayer MoS2 for Spiking Neural Networks Enabled Machine Vision Applications
https://doi.org/10.1002/admt.202401677

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部



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🧠 編集部の感想:
この「原子レベルの脳型チップ」の開発は、人工知能の進化に新たな可能性を広げる革命的な技術です。特に、省エネルギーで瞬時の判断ができる点は、自動運転車やロボット技術に大きな影響を与えるでしょう。今後の実用化に向けた研究の進展が期待されます。

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