🔸内容:
2025年6月19日 作る人VS生成AI
近年、多くの創作活動者が生成AIと共に表現を行っています。この流れはますます強まっており、80%以上の人々が生成AIを利用して作品を作っているのではないかと感じる人も少なくありません。しかし、筆者自身は生成AIに対して否定的な感情を持っています。ただ、この技術が今後の創作活動の主流になる可能性が高いため、完全に拒絶するのではなく、自分の創作にどう取り入れるかを考えたいと思っています。
筆者は俳句や短歌を通じて創作活動を行っており、特に以下のようなコンセプトを持っています:
- 三島由紀夫が蜥蜴に転生して季節に遊ぶ俳句
- 夏目漱石が生前に過ごしていた日常を空想する短歌
これらの作品を生成AIに試みると、たくさんの類似の俳句や短歌が生成されることが予想されます。この状況が続けば、創作意欲が減退し、「作るのをやめる」か「作り続ける」かの選択を迫られることになります。多くの人が「効率化された創作」に流れる中、自らの創作の価値をどう見つめるべきかが重要です。
一方で、生成AIを活用するアーティストもいて、彼らはAIが生み出した無数の素材を基に独自の作品を築く方法を取っています。これは新たな創造性を開花させる試みであり、AIとの共同作業を楽しむことが鍵となるでしょう。
このように、創作の過程は「楽しむこと」が重要で、苦しい道を選ぶ人は、その選択が本当に正しいのか疑問に思うかもしれません。生成AIを活用することを楽しむ人々と、苦しい道を選ぶ創作家の間には明確な差が存在します。結局のところ、創作する意義は精神論的な部分も含まれており、純粋な創作意欲を持ち続けることが必要です。
今後、生成AIが主流となる中で、その影響を受けない環境をどう守るか、また如何に自分の創造性を保つかが大きな課題です。
🧠 編集部の見解:
この記事では、生成AIと創作について鈍い不安と期待が交錯していますね。クリエイターとしての立場から、生成AIがどのように創作活動に影響を与えるのか、非常に興味深い視点が提供されています。
### 感想
筆者が生成AIについて抱く懸念は共感を呼びます。「作るのをやめる」か「続ける」の選択肢は、多くのクリエイターが直面している現実です。生成AIが創作活動を効率化する一方で、クリエイターの意欲を削いでしまう恐れがあるのは理解できます。特に、AIが無限のアイデアを提供するため、独自性やオリジナリティが薄れることに不安を感じる方も多いでしょう。
私自身も、AIを使った作品群が溢れる時代にあって、創作のモチベーションを維持するのが難しいです。ただ、AIはツールに過ぎず、その使い方次第で創作スタイルが変わるのかもしれません。AIを利用して新たなクリエイティブな発見を楽しむ一方で、その結果が自分自身のスタイルにどう影響を与えるのか、考え込む部分も多いです。
### ちょっとした背景
最近の研究によると、生成AIは創造性を高める手段としても利用されています。一部のアーティストや作家は、AIをインスピレーション源として活用し、独自の作品を生み出す事例も出てきています。例えば、音楽界のあるアーティストは、AIの作り出す音の組み合わせを使って、自分が選びそうな音を見つけ出す試みをしています。これは、創作活動におけるAIの新しい役割の一例と言えるでしょう。
また、生成AIの普及に伴って、法律や倫理の問題も浮上しています。著作権の観点から、生成AIが作成した作品の帰属やその使用が議論されています。AIによる成果物は、創作者やアーティストに新たな可能性を提供する一方で、これまでの創作の価値観を揺るがすことにもつながります。
### 社会的影響
生成AIが主流になることにより、創作の風景が大きく変わるでしょう。クリエイターは、AIを利用することでより多様な表現が可能になる一方で、オリジナリティや個人のアイデンティティをどのように守るかが新たな課題となります。今後は人間とAIの共創が進む中で、創作活動がどのように進化していくのか、ますます目が離せません。
クリエイターにとって、「作る楽しさ」をどのように維持していくかが、未来の重要なテーマとなるでしょう。私たちの物語や表現は、AIと共にどのように成長していくのか、想像するだけでワクワクしますね。
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キーワード: 創作
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