金曜日, 5月 16, 2025
ホーム生成AIChatGPT「ない」を書く習慣と、AIとの共犯記録。 『書く習慣 自分と人生が変わるいちばん大切な文章力』を読んでげげげ〜@毎日投稿チャレンジ中(11/100)

「ない」を書く習慣と、AIとの共犯記録。 『書く習慣 自分と人生が変わるいちばん大切な文章力』を読んでげげげ〜@毎日投稿チャレンジ中(11/100)

🧠 概要:

概要

この記事では、著者が「書くこと」に対する迷いや苦悩を感じながらも、『書く習慣 自分と人生が変わるいちばん大切な文章力』という本を通じて、自分自身の声を再確認し、書くことへの理解を深めるプロセスを分かち合っています。特に、他者に向けた話し方ではなく、自分自身への語りかけとしての「書くこと」の重要性や、AIとの共同制作による新たな表現の可能性について述べています。

要約

  • 最近、何を書くべきか迷っていた著者が本書を通じて迷いを克服。
  • 「自分語り」に対する社会的な抵抗感を緩和し、自由に語ることの大切さを再認識。
  • 書く際には「誰にも見せないつもりで書く」という気楽さが重要である。
  • 日常の些細な出来事が書く材料になることを学び、疑問を持つことが書くきっかけになる。
  • AIとの共同制作を通じて、自分の表現をどう映し出すか試行錯誤する重要性を感じる。
  • 「ちゃんとしていなくても書くことが大事」と実感し、寝ながらでも書く習慣を身につける。
  • 最終的には、自分にしかわからないことをAIと共に文章にすることで、文章力が向上する可能性があると締めくくる。

「ない」を書く習慣と、AIとの共犯記録。 『書く習慣 自分と人生が変わるいちばん大切な文章力』を読んでげげげ〜@毎日投稿チャレンジ中(11/100)

書くことは好きだけれど、最近「何を書けばいいのか」「なぜ書くのか」に迷いを感じていた。言葉を書き殴るのは苦ではないけれど、その行き先や意味に確信が持てないでいた。そんなときに手に取ったのがこの本だ。

ページをめくるたびに、「だから自分はnoteを始めたのか」と思い当たる節が増えていく。

自分語りの行き場がなかった自分

最近は、「自分語り=痛い」とされがちだ。聞き手に回ることこそが美徳、そんな空気がある。けれど、それが行き過ぎると“自分を語れない症候群”に陥る。

この本は、そんな窮屈さに「もっと気楽に語っていい」と肩の力を抜かせてくれた。話すって、そんなに崇高な儀式じゃない。もっと小さく、日常の延長でいい。

誰かの話は聞けても、自分の話になると途端に口を閉ざす。その自分に、「そろそろ自分の番じゃない?」と自然に促してくれるような読書体験だった。

このnoteは、自分が自分の声を聞く場所。誰かに語るんじゃなく、自分で自分を確認するような営み。そんなふうに考えると、ずいぶん気が楽になった。

完璧主義という不完全さと向き合う

「まずは誰にも見せないつもりで書くこと」。

え、それって日記では?と思いつつ、その気楽さに自分は救われた。人に見せる前提で書こうとすると、急に“文豪ごっこ”が始まるから危険だ。

作中の「自分では、うまく書けなかったと思いながら出した原稿が好評だった」というエピソード。わかる、それ、自分も心当たりがあります。ギリギリで提出した物に限って「独自性があって良いですね」とか言われる現象、あれと同じ。

“完璧”という言葉は人類を惑わせる呪文だ。自分の中にもその呪いがかかっていたけれど、ちょっとずつ解呪していこうと思う。たぶん、解呪の呪文は「ま、いっか」だ。

身のまわりはすべて書く材料になる

「特別な体験がないと書けない」と思っていた自分に、この本は「いや、むしろ何もないほうが書けるよ」とアドバイスしてくれた。なんという逆転ホームラン。

なんでもない日常、例えばスーパーで買った卵が一個だけ割れてたとか、洗濯した靴下が片方だけ行方不明になったとか、そういう“事件”こそがネタになる。

大事なのは、「なぜ?」と思うこと。なぜ卵が割れていると悲しいのか?なぜ靴下はすぐペアを裏切るのか?
そんなふとした疑問に立ち止まって考えるクセが、書くきっかけになる。

書くってつまり、「どうでもいいことを、なんか意味ありげに言ってみる」ってことなんじゃないか。そんな気すらしてくる。

書くって一体なんだろう

……とまあ、ここまでエラそうに「書くとは」みたいな話をしてきたけれど、正直に告白しよう。

このnote、ここまで全部AIに書かせている。いや、書かせているというか、AIと漫才みたいにやり取りしながら一緒に作っている感じだ。

「こんだけ書くとはなんぞや」と感銘を受けたはずの人間が、その全てをAIに委ねている──もはやこれは『本当にあった怖い話』である。

でも、どこまでAIの力を借りながら、自分の「書きたいこと」を表現できるのか。それを試すのもまた、自分なりの“書く習慣”かもしれない。

つまりこれは、自分の意思とAIの文章が織りなす、共同制作のnote版“人体実験”である。

そしてもう一つ、本書にあった「自分の言葉から、自分を消すな」という投げかけ。AIに書かせる時代だからこそ、どこまで自分の体温を文章に残せるかが勝負なのかもしれない。

笑いどころも、照れ隠しも、全部AIとの共同作業。
……と書いておきながら、どこまでが自分の意思で、どこからがAIの自動生成なのか、正直もう境界はあやふやだ。

それでも、たまに見かける一文に「これは自分だな」と思えたら、それでいい気もしている。

寝ながら書いても、それは立派なアウトプット(AIと一緒でも)

書くって、なんかちゃんとしてないといけない気がしていた。でもこの本を読んで、「ちゃんとしてなくても、まずは書くことが大事」ってことがようやく腑に落ちた。

今では、寝巻き・寝ぐせ・スマホ・ChatGPT・note。この並びが自分の作家セットになっている。バラバラだけど、なんか機能してる。

途中で寝落ちして、続きをAIに託してもいい。むしろそんな日こそ、いい感じの一文が生まれたりする。不思議な共犯関係だ。

結局、自分にしかわからない“どうでもいいこと”をAIと一緒に文字にする。その繰り返しが、いつの間にか「ちゃんと書いてる人」っぽく見えてくるかもしれない。

……という都合のいい希望を胸に、今日もnoteを開く。えらいぞ、自分(とAI)



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