木曜日, 5月 15, 2025
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西森路代|“ヒロイズム”とは何かを突きつける『新幹線大爆破』 – あしたメディア by BIGLOBE


※記事内で『新幹線大爆破』本編の内容に触れています

2025年4月23日にNetflixで配信が開始された『新幹線大爆破』が好調だ。Netflix週間グローバルTOP10にて、日本では映画部門で2週連続1位、グローバルでは非英語/映画部門で2位を記録している。(2025年5月8日時点)

物語は、現代の日本。新青森から東京へ向かうはやぶさ60号に、爆弾を仕掛けたという電話がかかってくる。新幹線が時速100㎞を下回ると、爆発するという強迫とともに要求してきた解除料は1,000億円というものだった。

『新幹線大爆破』から想起される韓国映画

当初は、どうなるのかハラハラしながら観ていたが、原稿を書くために何度も観ると、わからないところがたくさん出てくる。しかし、そのわからなさが、いまの日本の状況であり、こうあってほしいと願う(それは私の願望とは違うものであるが)人たちに寄り添っているように思える部分が際立ってきて、そこに興味を持った。

Netflix映画『新幹線大爆破』 Netflixにて独占配信中

この映画を観たら、過去のさまざまな作品を思い出すことになるだろう。もちろん、1975年に製作された『新幹線大爆破』もその一本である。そして、面白いのは、この二作が同じ原作ものやリメイクではなく、最新版の『新幹線大爆破』が1975年版の世界の続きにあるということだ。最新版では、1975年に起きた新幹線大爆破事件を犯人が模倣して、今回の事件を起こしたことになっている。

列車の中のパニックを描いたものならば、ポン・ジュノが監督した『スノーピアサー』(2013)もある。ソン・ガンホが出演し、アメリカとフランス、韓国の合作で、欧米でも公開されたこの作品は、格差社会や階級社会を列車の中に再現し、その歪さを問うようなものになっていて、ポン・ジュノらしい問いかけがあった。


また、ソン・ガンホとイ・ビョンホンが主演の航空パニック映画『非常宣言』(2022)は、舞台は列車ではなく飛行機の中だが、密室でバイオ・テロリストの企てた事件に巻き込まれたときの心理を描いている。


同じ韓国の作品としては、ヨン・サンホ監督の大ヒット作、『新感染 ファイナル・エクスプレス』(2016)があった。こちらは、ウイルスに侵され変異したゾンビ(こうした映画は、公開当時はゾンビという言葉を使わないでというお達しが来ることが多いが)が、列車の中で大暴れし、主人公たちは、感染を恐れつつもゾンビと戦うという物語になっていた。


この映画で、一躍知られることとなったのが、マ・ドンソクである。彼は、妊娠した妻とともにこの列車に乗っていたが、妻の安全を守るため、ゾンビたちと素手で戦うことになる。「気はやさしくて力持ち」というマ・ドンソクに最もハマった役柄で、ブレイクしたのは納得であった。

主人公は『イカゲーム』シリーズや『トッケビ』(2016)のコン・ユ。娘と一緒に列車に乗った彼も最後までゾンビと戦うが、彼自身は仕事にかまけてばかりで良き父親、良き夫というわけではなく、列車でゾンビと戦うなかで、そうした自分のある種の「トキシック・マスキュリニティ(※1)」と対峙する内容にもとれるようになっていた。

だから、厳密には『新感染 ファイナル・エクスプレス』は、主人公がヒーローになるという作品ではなかったと思う。ただ、それでもこの作品の中では、マ・ドンソクとコン・ユのふたりが中心人物であり、コン・ユが自身の罪に気づくという意味でも、唯一の主役という存在であることからヒロイズムに結びつく部分はあったと思う。もちろん、それを回避したくて、彼の父親としてのトキシック・マスキュリニティを潜ませたのだとも思えるが。と同時に、コン・ユ演じる父親は、仕事にかまけていた人でもあり、それは、彼の職業が証券会社のファンド・マネージャーであることにも関係していた。彼の勤める会社が、ある企業の株価を操作しており、その会社がこのようなゾンビを生んだところもある。この映画では、経済至上主義であったり、利己的な部分があったりしたものは、皆死んでしまう。実にたくさんの人が死んでいく映画でもあった。

※1 用語:「トキシック・マスキュリニティ」とは、男性はこうあるべきというステレオタイプな男らしさの内、有害性を伴うものを指す。「有害な男性性」とも訳される

一人だけにヒロイズムを集中させない『新幹線大爆破』 

では『新幹線大爆破』はどうだろうか。『新感染 ファイナル・エクスプレス』とまったく違うのは、たくさんのキャストがそれぞれに見せ場を持っているということだ。日本の映画では、よく「全員主役」というようなものがある。そのような映画は、ポスタービジュアルに、その主役級の人びとの顔が「ブロッコリー」(と本作にも出ている斎藤工が表現していた)のように並んでいるのが特徴である。

これを否定しているのでもないし、そのことをブロッコリーと表現する斎藤工の感性もなかなか鋭くて良いとも思うのだが、今更、引き出されるのはたまったものではないということも考えつつ、やはり日本では全員主役型の映画がいまもたくさん作られている。

しかし、それは単にたくさんの人をキャスティングして観てもらおうというマーケティングの効果だけではないような気がするのだ。

この映画で言えば、多くの人の見せ場があるのは一人だけにヒロイズムに集中させないため、つまり「ヒロイズムの否定」にあるのではないか。

主役のはやぶさ60号乗務員・車掌の高市(草彅剛)も、身を挺して新幹線を止めるというような、『ミッション:インポッシブル』シリーズのトム・クルーズのような派手なアクションを見せるわけでもない。また、『非常宣言』や『新感染 ファイナル・エクスプレス』のように、主人公がなんらかの犠牲になって、皆を助けるという意味でのヒロイズムもない。

高市は常に、乗務員たちが冷静でいられるように、そしてどんな乗客であっても安全を確保することを第一に考えて行動している人であった。

Netflix映画『新幹線大爆破』 Netflixにて独占配信中

彼以外にも、新幹線総合指令所・総括指令長の笠置(斎藤工)は、現場ではなく指令所から冷静な判断を下す人物である。

今回、意外と「おいしい」役どころだったのは、総理補佐官の佐々木(田村健太郎)だろう。登場シーンから、声や風貌から他とは違うオーラを発し、間をたっぷり使って注目されるシーンもあった。どちらに転ぶかわからないキャラかと思いきや、最終的には正義感を発していた。皆が彼に向かって認可のお願いをするし、彼が重大な決断をする場面もあるため、責任の大きな役だと言える。とはいえ、彼一人にヒロイズムがのっかっているわけでもない。

はやぶさ60号の運転手の松本(のん)は、決して止まってはいけない、そして時速100km以下になってはいけない新幹線を運転するなかで、手が固まってしまうほどに命をかけて運転をしていたから、彼女のヒロイズムは感じられたが、それもたくさんいる中の一人ではある。

また、元ニートの起業家でYouTuberの等々力(要潤)は、ソーシャルメディアを通じて、今回の事件の解除料である1,000億円を人びとの投げ銭によって集めようとしているが、それもそこまで彼一人にヒロイズムがあるわけではない。むしろ、そこにお金を投げかけるひとりひとりにはヒロイズムがあるようにも思える。

その他、新幹線が走る現場で作業をしている無数の人びとの働きなども、称えられるべきものとして、描かれていたような気がする。だからこの映画は、無数の人びとが事故を防いだ作品ということになるだろう。

Netflix映画『新幹線大爆破』 Netflixにて独占配信中

ヒロイズムに隠れたトキシック・マスキュリニティ

この映画がヒロイズムを一人に集中させないように、またヒロイズムを排除しようとしていることは、他の場面でも見えてくる。それは、爆弾を仕掛けようとした女子高校生の犯人が、なぜ新幹線に爆弾を仕掛けたのかにも関係している。

女子高校生の父親は、かつて1975年の新幹線大爆破事件のときの刑事であった。女子高校生と父親の電話での会話を聞いているだけでも、生まれてからこれまでの10何年間をいかにモラハラに耐えてきたかが見える。彼は、1975年の事件の真犯人を追い詰めたが、その自慢を娘にずっとしてきた。父親の当時の事件への執着が凄まじく、その執着に彼女は疲弊してきたのだった。これは、父親のヒロイズムに辟易した娘が起こした大事件の物語なのだ。そして、この父親の姿を見ると、ヒロイズムには、トキシック・マスキュリニティが隠れていることがわかる。

女子高校生の犯人の動機がわからないという意見も多いし、私自身も少し飛躍しているようにも思えるが、父親とのシーンを見れば、理論的には動機がわかる部分もある。

Netflix映画『新幹線大爆破』 Netflixにて独占配信中

彼女とやりとりする刑事の川越(岩谷健司)は、彼女の動機に寄り添うような部分もあったが、彼女はその刑事が自分に寄り添い、可哀想な少女であるとみなそうとして得られるパターナリズム(※2)やヒロイズムを否定しているように見えた。それは、パターナリズムもトキシック・マスキュリニティに含まれるからである。(なんでもかんでもトキシック・マスキュリニティで片付ける時代ではないと思いつつも、この映画で描かれているものを見ると、その言葉を出さずにはいられないだけなのだが…)

ただ、最後にあまり自分には響かなかったのは、刑事の川越が犯人に向かって、「世の中、捨てたもんじゃない」と言って、投げ銭で1,000億円が集まった画面を見せるシーンである。やはり、この映画は無名の現場の作業員など、主要なキャスト以外の全員が主役で、そこにはヒロイズムがあってもいいという目線が見え隠れしていた。その最たるものは、投げ銭で1,000億円を達成した、無数の市民たちであるように思う。

その対比として、総理大臣は、テロリズムを助長するという理由から、解除料に関して我関せずであり、なんの決断もしなかった。このように民間と政治家との対比があり、政治に対する不審は見えるのだが、その対比として、民間がなんでも請け負わないといけない矛盾も感じるのであった。そして、その「民間」とは、無数の市民であり、無数の市民こそがこの映画のヒーローなのであった。

理解できる場面だけではない映画だが、深読みだったとしてもある意味、「ただ一人の強いヒーローを世の中が求めているわけではなく、誰もがヒーローでありたい気持ちを少しずつ持っていて、それに寄り添っている映画」のように思え、日本にこのような欲望の構図があることを感じ取れた。

※2 用語:「パターナリズム」とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のために、本人の意思にかかわらず介入したり、干渉したりすること

 

西森路代
愛媛県生まれ。ライター。大学卒業後、地元テレビ局に勤務の後、30歳で上京。派遣社員、編集プロダクション勤務、ラジオディレクターを経てフリーランスに。香港、台湾、韓国と日本のエンターテイメントについて主に執筆している。著書に『韓国ノワール その激情と成熟』(2023、Pヴァイン)、『あらがうドラマ「わたし」とつながる物語』(2025、303BOOKS)、ハン・トンヒョンとの共著に『韓国映画・ドラマ わたしたちのおしゃべりの記録2014〜2020』(2021、駒草出版)などがある。

 

寄稿:西森路代
編集:前田昌輝
素材提供:Netflix

 

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