ファッションは視覚で表現されるコンテンツであり、ヴィジュアルに頼る側面が強い。しかし、目にしたアイテムやスタイルから受けた印象、感動を伝えるには、やはり「言葉」が欠かせない。どんなに強烈なヴィジュアルであっても、それを的確に表現する言葉がなければ、他者と共有することは難しい。
哲学者 ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein)は「言語の限界が、世界の限界である」と述べた。これは、ファッションにも当てはまるのではないか。言葉なしに、私たちは本当にファッションを理解できるのだろうか?
ファッションを表現する言葉は数多く存在する。クラシック、エレガント、クール、フェミニン、アヴァンギャルド。私たちはこれらの言葉を使って形容し、ブランドやアイテムについて語る。そして、そういった場面で頻繁に使われる言葉の一つが「モダン」だ。
「今シーズンのコレクションはモダンだ」「あのコートはシルエットがモダンになった」。モダンは一言でイメージを伝えるのに便利な言葉。しかし、モダンとは何を指すのか? 多くの人が、この言葉に「洗練された都会的なスタイル」を思い浮かべるかもしれない。モノトーンでシャープなシルエット、装飾を排したシンプルなデザイン、そんなイメージが先行する。
では、「コム デ ギャルソン オム プリュス(COMME des GARÇONS HOMME PLUS)」をモダンと称したら、どう感じるだろう。
COMME des GARÇONS HOMME PLUS 2025年秋冬コレクション
Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
伝統的なメンズウェアから大きく逸脱したデザインは、明らかに一般的なモダンのイメージとは異なる。だが、逆にモダンの定義を再考すべきではないだろうか?
英語の“modern”は「現代の、最新の」という意味を持つ。ここで注目したいのは「最新の」という概念。これを単に「最も新しい」と考えるのではなく、「今の時代に合ったもの」と捉えると、モダンと呼べる対象も変わってくる。
では、「今の時代に合ったもの」とは何か。現代とはどのような時代なのか。それを考えることから、「コム デ ギャルソン オム プリュス」のモダン論を紐解いていきたい。(文:AFFECTUS)
アルゴリズム時代に起きる「フィルターバブル」の危険性
Instagram、X、TikTokなどのSNS、YouTubeやNetflixなどの動画配信サービス、Spotifyといった音楽ストリーミング、TinderやPairsなどのマッチングアプリ。私たちの日常は、あらゆるシーンにおいてアルゴリズムによる提案に大きく左右されている。
アルゴリズムは、ユーザーの過去の体験をもとに「あなたが好きそうなもの」を選び出し、興味のあるコンテンツへと自然に誘導する。しかし、この仕組みは過去の選択に基づいた提案であるため、気づかぬうちに「似たものばかりが並ぶ世界」を作り出してしまう。その結果、ユーザーは新しい価値観や意見に出会いにくくなる。
2011年、イーライ・パリサー(Eli Pariser)はこの現象を「フィルターバブル」と名付け、アルゴリズムがユーザーの世界観を偏らせる危険性を指摘した。
自分の好みに合ったものが提案されることは快適だ。しかし、自分の興味を超え、予想もしなかったものに出会えたときの興奮と刺激。それこそが新しい自分との出会いを生む瞬間だ。アルゴリズムに支配された世界では、このようなエンターテイメントを体験するチャンスを逃してしまう可能性がある。それが、今という時代の実態だろう。そして、単に時代の実情を表現するだけではなく、時代の課題に対して解決策を提示するものこそ、「今の時代に合ったもの」と言えるのではないだろうか。モダンには、常に「一歩先へ」という感覚が欠かせないはずだ。
「コム デ ギャルソン オム プリュス」の服は、既存のメンズウェアの前提を疑い、着る人に新しい価値観を提示する。それは、アルゴリズムに支配された世界で、意図的に異質な情報を探しにいく行為と似ていた。
COMME des GARÇONS HOMME PLUS 2025年秋冬コレクション
Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
メンズウェアはウィメンズウェアに比べ、ベーシックなデザインが多い。伝統を尊重する服づくりがメンズウェアの根幹にある。しかし、伝統の枠に囚われることで、保守的になりすぎる危険性もはらんでいる。確立された価値観の中に閉じこもってしまえば、男性の服は新しい視点や革新性を失ってしまう。それはフィルターバブルと重なる現象だ。
デザイナー 川久保玲は、メンズウェアの構造を意図的に歪め、伝統の価値観に疑問を投げかける。まるで、フィルターバブルの外へと私たちの意識を引っ張り出すように。
ヴァージニア・ウルフ「オーランドー」を通して破壊した“性別の境界”
2019年、川久保はウィーン国立歌劇場で上演されるヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf)の小説を原作としたオペラ「オーランドー(Orlando)」の衣装制作を手掛け、その衣装を2020年春夏コレクションとして発表した。コレクションは「コム デ ギャルソン オム プリュス」が第一幕、「コム デ ギャルソン」が第二幕、そしてオペラ座での上演が第三幕。これによって1つの“オペラ”が完成するという3部構成だった。ここでは第一幕「コム デ ギャルソン オム プリュス」に焦点を当てる。
1928年に発表された小説「オーランドー」の主人公は、貴族の青年オーランドー。16世紀のエリザベス朝時代から生き続け、途中で性別が男性から女性へと変化し、そのまま300年以上を生きる彼の物語は、時代や性別の枠組みを超越する。男性らしさ、女性らしさとは何か、性別に対する問いかけを投げかけながら、変わりゆく時代と人間の在り方を描く。性の変化、時間の超越、そして非現実的な構成によって、フィクションの枠組みを破壊する実験的文学。それが「オーランドー」だった。
このフィクションが具現化されたように、「コム デ ギャルソン オム プリュス」はメンズウェアの常識を破壊した。
COMME des GARÇONS HOMME PLUS 2020年春夏コレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight
ボトムに目を向ければ、ショーツ・黒いショートソックス・白いスニーカーと、少年的・スポーティ・ストリートとも呼べるスタイル。パンツに向けた視線をそのまま上半身へ移動させると、一転して男性の服のクラシックであるテーラードジャケットが登場する。だが、インナーに合わせたのはドレスシャツではなく、カジュアルなTシャツだ。
メンズのエレガンスとカジュアルが交錯する中、首元にはパールのネックレスが光る。特に当時においては、メンズのスタイリングに用いることが珍しいアクセサリーだ。Tシャツの胸元にはジュエリーのグラフィック。豪華さこそが価値とも言えるジュエリーを、プリントという大量量産可能な方法で再現し、その本質に疑問を投げかけた。
パールネックレスという女性の服装を代表するアクセサリーを、少年的装い・ストリートスタイルに使用することでジェンダーの文脈を撹乱し、エレガンスとストリートを隔てる壁も溶かす。そしてTシャツのプリントでジュエリーを表現することで、ラグジュアリーに対する批評性も帯びる。
COMME des GARÇONS HOMME PLUS 2020年春夏コレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight
COMME des GARÇONS HOMME PLUS 2020年春夏コレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight
ジュエリーのプリントTシャツは他のルックでも展開。軽快なショーツルックはコンサバなティアードスカートに置き換わった。
「男性の服装とは何か、女性の服装とは何か、贅沢とは?」
このコレクションは単なるジェンダーミックスのスタイルではない。社会に通底する「男らしさ」を解体し、もう一度問い直す。自由な発想が多用されるウィメンズウェアではなく、伝統を重んじるメンズウェアで作り上げたからこそ、ファッションに対する根源的な問いが立ち上がってきた。そしてそれは、一つの性別、一つの時代にカテゴライズできないオーランドーの人生そのものと言えよう。
COMME des GARÇONS HOMME PLUS 2020年春夏コレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight
ロングジャケット&パンツというメンズスタイルだが、インナーにはピンク&ホワイトのストライプ生地を使ったロングシャツを合わせている。細部を見るとティアード構造で、波打つフリルなヘムライン。ここでも首元のパールネックレスが存在感を放った。
パールネックレスは、女性のコンサバファッションの美しさを確立したココ・シャネル(Coco Chanel)が愛用していたもの。そのアクセサリーをメンズウェアのモチーフにすることは、性別の境界を超えていく挑戦とも読み取れる。
COMME des GARÇONS HOMME PLUS 2020年春夏コレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight
従来のメンズウェアであればまず取り入れられることのなかった女性服の要素、中でもピンク・ティアード・フリルなヘムラインという、特に甘い要素をクラシックな男性服で表現。非現実的なストーリー構造で、小説のシステムを揺さぶったウルフの実験と重なった。
自ら新しいものを探しに行かなくても、アルゴリズムが提案してくれる現代。だが、過去の体験になぞられた提案の延長線上で、既存のシステムを破壊する新しさに出会えるだろうか。「いいね」を押した投稿と同じ種類の投稿が、フィードに現れる暮らしを続けるだけでは得られない新しさがきっとある。これまでの自分の価値観にない体験を求めることを、もっと試みてもいいのではないか。オーランドーの生き様と「コム デ ギャルソン オム プリュス」は、アルゴリズムによって価値観が固定化されていく現代へ警鐘を鳴らしている。
新たな時代の価値観をファッションで表現、24年春夏コレクション
男性服の基本はテーラリングにある。イギリス、イタリア、アメリカ、そして日本。各国のテーラードジャケットはフォルムデザインに大きな差はない、ショルダーライン、ウェストのシェイプなどの細部の変化が個性を生み出している。また、スタイリングにおいても基本の型はあり、シャツ・ネクタイ・ジャケット・パンツとメンズの装いは、概ねその型を崩さずに進化してきた。
メンズブランドはウィメンズブランドに比べると、造形の革新性は抑制されがちだ。大きな革新よりも、サルトリアルな調整の妙こそメンズデザインの本質である。この「型」に「コム デ ギャルソン オム プリュス」はどう挑むのか?
その疑問に答えるシーズンが、2024年春夏コレクションである。
このシーズンで特に注目したいアイテムが靴だ。男性の服装の中でも、靴は造形面で革新性がとりわけ少ないアイテム。たとえば、袖が4本取り付けられたシャツのルックでも、靴はベーシックな形というのは珍しくない。メンズウェアの世界において、最も伝統を重んじるアイテムはスーツやシャツよりも、靴ではないだろうか。
COMME des GARÇONS HOMME PLUS 2024年春夏コレクション
Image by: FASHIONSNAP.COM(Koji Hirano)
フォルムデザインが保守的な靴に、川久保は驚きをもたらした。日本のシューズブランド「キッズ ラブ ゲイト(KIDS LOVE GAITE)」とのコラボレーションシューズは、つま先が二つに枝分かれした前衛的なデザインだ。メンズクラシックの文脈から外れた異端の靴は、足がどこへ向かっているのか見る者を惑わせる。
過去の時代、私たちは「選ばなければならない」と感じる場面が多かった。進学、就職、転職、結婚、出産、子育て、介護、どれもどこかで諦めるべきものがあり、どちらか一方を選びとらなければならないと思われてきた。
しかし、現代は違う。技術の進化、人々の価値観の変化とともに、社会は新しいシステムやサービスを生み出し、「どちらかを選ぶ」という枠組み自体が変わりつつある。最先端の技術や価値観が、選択肢を広げ、両方を選ぶ生き方を可能にしたのである。「選ばなければならなかった時代から、両方を選ぶ時代へ」。そんな時代が私たちに訪れている。このアヴァンギャルドな一足(二足?)は、まさに「両方を選びとる」可能性を示しているように思える。既存の枠組みや価値観を超え、選択肢が無限に広がることを体現しているデザインだ。
COMME des GARÇONS HOMME PLUS 2024年春夏コレクション
Image by: FASHIONSNAP.COM(Koji Hirano)
こうしたアイテムは、私たちが未来に向けて生きるためのヒントを与えてくれる。「コム デ ギャルソン オム プリュス」のデザインは、新たな価値観をファッションの世界で具現化したと言えるだろう。
モダンとは何か、「コム デ ギャルソン オム プリュス」が示す答え
ウィメンズライン「コム デ ギャルソン」はダイナミックな造形で、ファッションの可能性を押し広げている。クリエイションはもはや服というより、布の彫刻と言っても過言ではない圧倒的存在感を放っており、その驚異的なイマジネーションには感嘆させられるばかりだ。
COMME des GARÇONS 2025年秋冬コレクション
Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
しかし、個人的には、より強く惹かれてしまうのは「コム デ ギャルソン オム プリュス」だった。理由は伝統を重んじるメンズウェアという領域の中で、「ジャケットでありながら、今までに見たことがないジャケット」、そんな未知の感覚の服を作り出そうとする挑戦に刺激を感じるからだ。
アルゴリズムに大きく影響を受ける現代において、システムの外へ足を伸ばすことは簡単ではないかもしれない。だが、想像もつかない新しさに出会うためには、勇気を持って現在の場所から一歩踏み出す必要がある。
ファッションに新しさは欠かせない。いつだって欲しいのは新しさ。そう思う人たちは多いはず。しかし、これまで良いとされてきた要素を多少ブラッシュアップしただけの服を「新しい」とは呼ぶには、どこか物足りない。現代の感覚を捉えながら、さらに一歩先を行く服。それこそが「モダン」であり、心から欲しいと願う服だろう。
挑戦を繰り返すメンズブランドは、従来のファッションの概念を根底から覆している。もしかしたら、ミニマリズムという対極的な概念さえも手懐けてしまうのではないか。そんな未知の可能性を感じさせる「コム デ ギャルソン オム プリュス」こそ、モダンと呼ぶにふさわしい。
2016年より新井茂晃が「ファッションを読む」をコンセプトにスタート。ウェブサイト「アフェクトゥス(AFFECTUS)」を中心に、モードファッションをテーマにした文章を発表する。複数のメディアでデザイナーへのインタビューや記事を執筆し、ファッションブランドのコンテンツ、カナダ・モントリオールのオンラインセレクトストア「エッセンス(SSENSE)」の日本語コンテンツなど、様々なコピーライティングも行う。“affectus”とはラテン語で「感情」を意味する。
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