【獨協高校】華麗なる卒業生人脈!ダンサーのSAM、俳優の濱田岳、セガサミーHD会長の里見治…ダンサーのSAM Photo:SANKEI

「野球殿堂」入りした
5人の卒業生たち

 東京・文京区北部の高台にある男子校だ。明治以来の140年余の伝統を誇る、私立の6年制中高一貫教育校だ。

 獨協を語るとき、反射的に出てくるのは天野貞祐(あまの・ていゆう、1884~1980年)の名前だ。前身の獨逸学協会中学出身で、母校の校長を務めて「中興の祖」になり、「学問を通じての人間形成」「社会の優等生をつくる」という教育理念を定着させた人物だ。

 大正・昭和期のカント哲学者、教育者であり、旧制第一高等学校(東京)校長、旧制甲南高校校長、京都帝大教授、獨協大初代学長なども務め、戦後に文相に就き、文化功労者にも選定された。

 一方で天野はスポーツ振興にも熱心だった。49~61年の間、日本学生野球協会会長を務め、大学、高校の野球の振興に努めた。このため、73年には特別表彰で「野球殿堂」入りを果たしている。

 獨協の旧制中学のOBで、「野球殿堂」入りしている人物は、天野にとどまらない。あと4人もいるのだ。

 65年には最高裁判事、第2代プロ野球コミッショナーを歴任した井上登が、66年には旧制第一高校に進学し、ドロップボールを駆使して「一高第2次黄金時代」の左腕として活躍した軍医の守山恒太郎が、「野球殿堂」入りしている。

 73年には天野と一緒に、国文学者・歌人で明治大野球部長などを務めた内海弘蔵が、83年には精神医学者で井上の後を継いで第3代プロ野球コミッショナーを務めた内村祐之が、没後3年を経過して「野球殿堂」入りを果たしている。内村は、キリスト教思想家の内村鑑三(札幌農学校卒)の長男だ。

 一つの高校卒業生から計5人が「野球殿堂」入りしているのは、珍しい話だ。愛媛県立松山商業高校(旧松山商業学校)の卒業生では、元巨人・阪神監督だった藤本定義など計5人が、「野球殿堂」入りしている。獨協高校はこれに並んでいるのだ。

 また、大阪府立市岡高校(旧市岡中学)の卒業生では、日本高校野球連盟の3代会長を務めた佐伯達夫など計4人が「野球殿堂」入りを果たしている。