「怖い」「考えたくない」と思っていても、人生には必ず終わりのときが訪れるもの。「いつか」は予測できないけれど、100%の確率で誰もが死ぬわけです。
だからこそ「人生の終わり」を見つめ、逆算して「いま、この瞬間になにをするべきか」と考えるべきではないか。
『人生を全力で生き抜くためのDEATH MIND-デスマインド-』(野田和裕 著、ぱる出版)の著者はそう述べています。たしかにそうすれば、これまでとは違ったものの見方ができるようになり、それに伴う結果を呼び寄せることができるようになるかもしれません。「死」を意識することで、生き方が大きく変わるからです。
著者は、キリスト教専門の葬儀社を経営している人物。27年間にわたり、4,000人以上の方々の葬儀に関わってきたのだそうです。そのなかで気になったのは、たくさんの人に惜しまれながらも送られる人がいる一方、残された家族がやっとの思いで見送るケースもあるということ。
その違いについて考えた結果、“「死」を見据えた生き方をしていたかどうか”が関わっていると気づいたのだとか。それが本書の執筆につながったわけです。
世の中には多くの終活本や死生観の本が存在します。
けれども私は、クリスチャンとして、そして27年間キリスト教専門の葬儀社で働いてきた経験を通して、「死を意識するからこそ前向きに生きる力」を皆さんと共有できればと思っています。
終活というテーマから考える「生き方」を、もっと活き活きと、そして自分らしく生きるためのヒントとしてお伝えしたいと思っています。(「はじめに」より)
つまり内容は普遍的であり、クリスチャンであるかどうかに関係なく共有できるものだということ。そこで第1章「人生を切り開き、全力で生き抜く思考」のなかから、デスマインドについての基本的なことがらを確認してみることにしましょう。
デスマインドとは、デス(死)とマインド(思考・精神)を組み合わせた著者の造語。本書においては、「死を意識し、そこから得られる思考」として扱われているようです。直訳すれば「死の思考」ということになりますが、もっと深い意味があるのだとか。
私たちは、誰しもがいつか死を迎えます。この事実から目を背けず、むしろ死から逆算して今をどう生きるかを真剣に考えてみる。
そうすることで、日々の生活やビジネス、人間関係、そして自分の人生そのものを、より活き活きと輝くものにしてほしい。そんな私の願いを込めているのです。(16〜17ページより)
このことに関連して引き合いに出されているのは、20世紀フランスの美術家であるマルセル・デュシャンの墓碑銘である「死ぬのはいつも他人だけ(“D’ailleurs,c’est toujours les autres qui meurent.”)」ということば。
私たちは「あの人も死んだ。この人も亡くなった」と理解しながらも、「だから自分もそろそろ」とはなかなか考えられないものだということです。
ましてや日本のように「死=穢れ」というような価値観が根ざしている社会では、「死を考えるなんて縁起でもない」という思想が根強く、考えることすら拒む土壌があるともいえます。
また人類全体に共通しますが、「死んだらどうなるか」を事前に学んでおくことはできないもの。死という現象が自分に訪れるときには、すでに意識が失われている場合がほとんどなので、“死という現象”を認識できないわけです。そうした理由から、死に関することすべてが未知の体験になるのです。(16ページより)
冷静に見つめる態度
人間は、未知のことがらに対しては本能的に警戒するものです。警戒対象が命にかかわることであれば、「考えても解決できない」と判断し、考えることをやめてしまう習性もあります。そのため、死を自分の問題として捉えることは難しいのです。
加えて、自分以外の誰かが亡くなったとき、初めて死という現実を認識するものでもあります。しかし他人の死を目撃するたびに「自分もいずれ死ぬ」と思い知らされる一方で、その死というものがどのような経験を伴うのか、そこでなにが起きるのかを完全に理解することはできません。これは大きな矛盾ですが、だからこそ恐怖を感じるということです。
結局のところ人間は、死という避けられない現実を受け入れながらも、それをただ悲観的に捉えるのではなく、冷静に見つめる態度が大事なのです。
この「死ぬのはいつも他人だけ」という言葉は、それを端的に表していると私は感じています。(18ページより)
死をやみくもに恐れるのではなく、それを「ひとごと」として捉えながらも、「いずれは訪れることだから」と自分の問題に置き換えて考える。そして、自分の生をより有意義なものにしていくべきだと考える――。それこそがデスマインド思考だということです。(18ページより)
どうやって生きるべきか
こうした考えた20世紀になって急に生まれたものではなく、中世に建設されたキリスト教の教会のなかには、骸骨が踊っているレリーフや彫像が施されたところがいくつもあるのだそうです。しかしなぜ、人々が聖書の話を聞きに集まる教会に、美しい天国の壁画や天井画だけでなく、グロテスクな骸骨のレリーフがあるのでしょうか?
それは、「あなたもいつか必ずこうなります。生きている間はほんの一瞬です。だからこそあなたは、その間にどうやって生きるのかを考えなさい。常に自分の死を思いながら精一杯生きなさい」という教えを、字が読めない庶民にもわかるように表すためです。(19ページより)
ご存知の方も多いでしょうが、こうした彫像や絵画のテーマを“Memento Mori(メメントモリ”と呼びます。
Memento:ラテン語で「思い出せ」「記憶せよ」という意味。
Mori:ラテン語で「死」という意味。
(20ページより)
このふたつを合わせて、「自分の死を忘れるな」「死を意識せよ」という意味になるわけです。これは、死を避けられない現実として受け止めるように促すとともに、人生を全力で生きる重要性を教えてくれるものでもあるということです。
ここからも分かるように、人間は1000年以上前から死を受け入れ、あえて死という人生の終着点を思い描いてきたのです。
そうすることで、いまという瞬間のかけがえのなさ、命の尊さ、全力で生きることの大切さを感じながら生きてきたということ。すなわちそれが、デスマインドを持って生きるということであるわけです。(19ページより)
タイトルにはちょっと恐ろしげなイメージがあるかもしれません。しかし死を意識すれば、かえって人生が輝きを増し、自分らしく生きることができるようになるはず。そんな著者の考え方に基づく本書は、より前向きに生きていく上で役立ってくれそうです。
>>Kindle unlimited、500万冊以上が楽しめる読み放題を体験!
Source: ぱる出版
編集部の感想:
この内容は、人生の終わりを意識することがいかに重要かを考えさせられます。死を避けずに向き合うことで、日常生活をより豊かにするヒントが得られるのは興味深いです。恐怖を抱かず、むしろそれを生きる力に変える姿勢は、多くの人にとって有益だと感じました。
Views: 0